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2005年12月28日

命の大切さは平等じゃない

よく、どんな生物でも命の大切さは同じだという
偽善的なフレーズを聞きます。

でも、そんなわけがない。
あなたはパックに敷き詰められた ちりめんじゃこを見て、
人間とじゃこの命の大切さは同じだって言えますか?
数千の命を1人の人間が1食でバクバク食べちゃうのに
言えるわけがない。
(ところで ちりめんじゃこって
 カタクチイワシの雑魚だったんですね)

では命の大切さはどう決まるのだろう?
人間を除外した場合、他の生物を捕食した数に比例していると言えそうだ。
イワシ1匹と、じゃこ1匹の命の大切さは同じではないだろう。
イワシ1匹は生きている内に何千匹の小魚を捕食しているはずだ。
そのイワシが死亡したとき、
今まで食べた小魚1匹と同等の価値なわけがない。
何千匹の小魚を犠牲にして成り立っている命だからだ。
逆に、じゃこはまだ生まれたばかりで、捕食した生物の数が少ない。
その分だけ価値が少ないと言えるだろう。
クジラ1匹とイワシ1匹でも同様だし、
じゃこ1匹とプランクトン1匹との関係でも同様だ。

ここに、除外した人間をぶち込んでみよう。
すると、人間の命が一番大切になり、
人間にとって役立つ生物や、可愛がられる生物の命が大切になる。
人間と犬・猫が災害で取り残されたとき、優先して救出されるのは人間だ。
人間と犬・猫が殺されたとき、優先してニュースにされるのは人間だ。
そして犬・猫と野生の鹿が飢えているときは、犬・猫が優先される。

このように、人間が出てくると人間本位の価値観が出来上がる。
この人間本位を改めないかぎり、どんな生物でも命の大切さは同じだなんて
口が裂けても言えないはずだ。

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