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2006年07月12日

DDRのコントローラ

最近、ダイエットと運動を兼ねて
昔に流行ってたダンスダンスレボリューション(DDR)をやろうと思い立ちました。

でも、家には昔に使ってたぶっこわれたDDR用コントローラしかなかったのです。
どんな風に壊れているかというと、
同時押しが効かないのは当たり前。
真ん中に立ってるだけで勝手に入力されるありさま。
コントローラは壊れると知能を持つらしい。

そこで新しいコントローラを、
できれば良いコントローラが欲しかったので
DDR用コントローラ デラックスとやらをヤフオクで落札。
終了間際に3000円だったものが
7500円にまで跳ね上がり思わぬ出費になってしまいました。
Amazonなんかで新品を買うと15000円くらいなので
安いと言えば安いんですけどね。
なんかプレミアムが付いてるみたい。

で、数日後。
家に郵送の不在伝票が届いてました。
郵便局が家から近いのでわざわざ郵送してもらうのも
悪いと思い、自転車に乗って郵便局にまで取りに行きました。
それがどうやら運の尽きだったらしい。

局員の人が奥から荷物を持ってくるのが遅いなあと思ってたら、
人ぐらいの大きさの箱を抱えてきたので仰天しました。

DDRController.jpg

思わず、「デカ!」って言ってしまいましたよ。
自転車のカゴにも入らず、どう持って帰ろうかと考えてたら
急に雨まで降り出す始末。

結局、無理やり自転車のカゴに横置きにして持って帰りました。
道中の行き交う人々の白い目が痛かったです。
なんでオレこんなもん運んでるんだろうとか
人生の意味をちょっと考えたりしてしまいました。

郵送してもらえばよかった・・・。

2006年06月10日

人種差別の過剰反応

「注文は英語で」と書かれた看板に非難の声
引用元:http://www.excite.co.jp/News/odd/00081149908512.html

フィラデルフィアにあるレストランが、「ご注文は英語でお願いします」と書かれた看板を掲げたため、人種差別に当たるなどと論争となっている。

まず、レストラン側の言い分は

「ここはアメリカです。注文するときは英語でお願いします」
となっています。
外人が日本に来たとき、
日本人の我々は日本語で喋って欲しいのは当たり前ですよね。
相手の言ってることが理解できないんだから。
今回と全くおんなじです。

で、人種差別って言ってるラテンアメリカの人たちの代表は、

「オーナーの口から出た言葉は人種差別的なものだと思います。まるで彼は、『この町に住んでいる茶色い顔をしたやつらが気に入らない。やつらを町から追い出すためなら、何だってする』と言っているようなものだ」
と言ってるらしい。

何この過剰反応。
注文を英語でしてくれってだけで、
追い出すことになるなんてどういうこと?
それに、料理の名称を英語で言うだけなら
難しくないと思うんですけど。
どうみても難癖です。
悪く推測しちゃうと、
彼らは人種差別を武器にしてるだけじゃないのかと思ったりします。

でも、実際その場所に行ったわけではないので
真偽は定かではないですけどね。
ロイター社の記事自体がおかしい可能性も十分ありますし。

ニュース引用初めてだけど、
記事自体が正しくない可能性を考えてたら何も書けなくなるなあ。
でも鵜呑みにしちゃいかんし、
こればっかりはどうしようもないか。

2006年06月09日

勇者の王妃との結婚

勇者の王妃との結婚は、女性を褒美としての物として扱われているようなもので、人身を軽んじているのではないだろうか?
引用元:http://riceofrice.s41.xrea.com/x/mt/archives/2006/06/12.html

どこの昔話を読んでも1つや2つ、王の娘を褒美で与える話が出てくる。
たしかに世界的に昔は人身を軽んじている風潮が強いと思います。
でも大抵は、王妃も納得済みで結婚する話が多いので
良いんでない?とは思っちゃったりしますね。

補足してみると、王が最高の褒美を勇者に与えようと思うと、
自分の血縁者と結婚させて、
自分と同じ地位を与えるのが妥当なところだと考えられます。
正式な手続きで王になるためには、
王の血筋にならないとダメという習慣が世界的にあるからですね。

この習慣が無いのなら王妃の褒美としての価値も薄れるはずです。
褒美としての価値が薄れると勇者に与える意味もなくなるので
結婚話が出てこなくなるかもしれない。
価値が薄れた方が良いのか悪いのかは定かじゃありませんけども。

あとシルクロードの昔話に、王妃が街人の群集から
結婚相手を選ぶという逆バージョンもあったりします。
選ばれた男は嫌でも強制結婚させられちゃったり。おーこわ。

男権主義も怖いけど女権主義も同様に怖いなあ。
本当の意味での男女平等が訪れればいいですね。

2006年04月05日

大規模ネットゲーム(MMO)はゲーム付きチャットか?

よく言われるけど、実際そうでしょうね。
だいたい、チャットというのは現実に置き換えると喋るということ。
人と喋るってのは、人間にとって生きてるのと同義に近いほど重要なことだと思います。
人間は群れる生物ですから、喋らなければ仲間はずれにされてしまいます。
仲間はずれにされれば、物資の供給は途絶え、情報の共有も途絶え、その先には寂しい死しかありません。

で、大規模ネットゲーム(以下MMO)も同様です。
MMOでは喋らなくても死ぬことはありませんが、1人でプレイするのは非常に寂しいです。
楽しむためにプレイしているゲームで寂しいのは、死とほぼ同じです。
ですから、まず他者とのチャットありきなわけです。

しかし、最近では1人でプレイしても楽しいMMOが主流になりつつある気がします。チャット付きゲームに逆転してきてるようですね。これは本当のところを言うと先祖帰りみたいな物ではないかと思います。

ネットゲームの黎明期といえば、ディアブロですが、このゲームは1人でも十分遊べましたし、マルチプレイ中でもあまりチャットをする必要がありませんでした。チャット付きゲームですね。その後ウルティマオンラインなどのMMOが出現し始めて、まずチャットありきなゲーム付きチャットになったわけです。そして、ユーザが1人でも楽しく遊べるように今またチャット付きゲームに戻ったわけです。

チャット付きゲームは、ゲームとして面白いことが多いですが、他者との関わり合いが薄いことも多いです。ゲーム部分ばかりに気を取られて、チャットしてられないってわけです。
逆にゲーム付きチャットは、ゲームとしては「これ、ゲームなの?」という作りなことが多いですが、他者との関わり合いは深いものになることが多いです。長く付き合うような友達が出来るのはこっちのが多い気がします。

しかし私としては非常に強欲ですが、面白くてかつ他者との関わり合いが深いゲームがしたいのです。私はまだそんなゲームには出会ったことがありません。

プレイできなかったのですが、初期のウルティマオンラインはそんな感じだったのではないかなあと思っています。ゲーム内で新聞作ったり、図書館作ったり、オークションしたり、護衛を雇ったり、ニーズに合わせて産業が出来たり、犯罪者に襲われたり、自警団を設立して犯罪者を撃退したり。
他者とここまで交わりあって楽しめるゲームなんて他に聞いたことないですから。

だいぶ本題からズレたけど、まあいいや。

2006年03月26日

資本制と属国

 この文章は大学の講義で見たドキュメンタリー番組の感想です。
タイにあるプーケット島が資本制によってリゾート地化していることから、
資本制の中の弱者に対する問題と恩恵について述べています。
 
 資本制とは、先進国が戦争に代わって間接的に発展途上国を属国にするための制度だと言えます。なぜなら、タイのプーケット島は先進国のお金によってリゾート地として属国化されています。
 リゾート地化による属国には様々な被害が存在します。たとえば、観光客によるゴミのポイ捨てなどで環境が汚染されます。生産物や資源をお金で買い取られてしまいますし、仕事も観光客相手のものばかりになってしまいます。
 他にも文化遺産を壊してリゾート地を作るなどの伝統破壊も行われています。プーケット島では砂浜のほとんどがプライベートビーチになり、お金を払わないと立ち入ることができなくなっています。

 資本制はさらに、客と生産者との間柄もおかしくします。プーケット島では観光客にとって島民はサービスをする人でしかありません。そして島民にとっても観光客はお金を運んでくる人でしかありません。これが正常な人と人との間柄でしょうか?これでは機械を相手しているのとあまり変わらないのではないでしょうか。正常な間柄とは相手を個人として認知し、敬意を払って接するものです。

 リゾート関係ばかりが資本制による被害ではありません。タイでは昔から種を自分達で掛け合わせて作った種で農業してきました。しかし、その種を使う権利を外国企業が主張することで法的に使えなくしてしまったのです。そのため、自由に農業が行えなくなりました。そして企業は作った種を農民に高値で売りつけて、タイの農業を支配しているのです。

 このように、資本制は住民の生活を根源から変え、土地を先進国の資産にしてしまいます。これを先進国が発展途上国を属国にしていると呼んでも過言ではないでしょう。

 ではなぜ、お金がプーケット島を支配してしまったのでしょうか。島民は別にリゾート地として経営していかなくても、昔からしっかりと生活していたそうです。
 しかし、そこに自分達より技術の高い国が介入してくると話は変わります。外国からの贅沢品が島民の大半を虜にし、統治者は国を防衛するために軍備を整えるためのお金が必要になります。そして、いつのまにか国全体がお金無くしては維持できない環境に追い込まれていたのです。誰にとってもお金が必要になってしまう制度、これが資本制の一番重要な性質です。

 だが、ここで大きく見方を変えてみましょう。昔、先進国は戦争によって直接的に発展途上国を属国にしてきました。この代償には多くの人々の命が奪われました。しかし、資本制では直接的に人が死ぬことは戦争に比べてかなり少なくなりました。戦争で属国にしても、発展途上国の国民の生活はどっちにしろ壊されてしまうでしょうし、結果としては資本制よりひどいことになるでしょう。そういう意味では戦争で属国にするより、資本制は圧倒的に素晴らしい制度であると言えます。日本の平和も資本制に支えられてるのです。

 どう足掻いても人間は他人を食いつぶそうとします。あなたがそうでなくても、あなた以外の人はわかりません。これを止めることができないのなら、妥協案としての資本制は悪くないかもしれません。ただ、資本制による属国化は直接的な暴力ではないため、問題を見抜きにくいところが厄介ですが。

2006年02月15日

謝罪の心

人に対して何かミスを犯したとき、あなたは謝りますよね。(謝らない人も居るでしょうが)
で、謝られた側はあなたを許してお互いの交友を保つわけです。

大きいミスの場合は、ミスを犯した側も大抵は粛々と謙虚な姿勢を保ちます。
しかし、小さいミスの場合は謝れば済むと思ってる人がほとんどでしょう。

たしかに表面上は済みます。
小さいミスの責任を追及することは世間一般で卑しい行為とされており、
逆にこちら側が小さい器だと非難されるからです。

しかし、ミスを犯された側にとっては大きくても小さくてもミスはミスなのです。
それを免罪符のように「謝れば済む」と思われては許せません。

謝る側はミスの大小関係なしに、謝罪の誠意を持たなければなりません。
「謝れば済む」と思ってる方は、もう一度考え直してください。
ミスを犯された側の心の中では本当は済んでないのです。

「すみません」という言葉は「済みません」と漢字で書きます。
文字通り、済んでないのです。

2006年01月26日

ライブドア事件と日本人の犯罪に対する性質

私はライブドアが嫌いですし、堀江氏も嫌いです。
ですが、彼はまだ犯罪者ではありません。
ただの容疑者です。
しかし、彼はもうライブドアからその地位をすべて抹消されてしまいました。そして世間も彼を犯罪者扱いです。
まだ有罪判決が出ていないというのに、日本の社会は彼に罰を与えています。これでは裁判が何のためにあるのか全く分かりません。裁判で有罪判決が出た後、彼を罰するべきなのです。法治国家が聞いて呆れます。今の日本は、疑われただけで有罪判決が言い渡される国なのです。

ですが、ライブドア側の彼に対する仕打ちも仕方が無いと言えば仕方がないことかもしれません。日本の裁判は判決が下されるまでに数年はかかります。その間、会社の最高責任者が不在というのはきついでしょうから。
では、ここで何が問題なのか。それは判決を出すのが遅すぎることです。なぜ遅すぎるのでしょうか?

シロウト頭で考えてみたところ、裁判では水掛け論がずっと続くことがあると考えられます。この水掛け論を裁判官がどこで終わらすことができるかで判決を短くできるのではないでしょうか。しかしこれは判断を誤ると冤罪を助長する可能性もあるので難しいです。

他に思いつくことは、法律が複雑すぎで、さらに解釈の仕方がいくらでもあるという曖昧さが原因ではないかと思います。
解釈の曖昧さについては適用範囲を広げようとすると曖昧さが強くなりますし、曖昧さを無くそうとすると逆に適用範囲が狭まり 法自体の意味が弱くなってしまいます。これもまたかなり難しい問題ですね。

法律の複雑さについては、条文一つを読んだだけでは意味が分からない作りになっているのが問題ではないでしょうか。ある法律をカバーするために他の法律が制定されているケースもあるようで全体を見ないと全く分かりません。この辺はまとめ方次第でどうにかなりそうなんですが、どうでしょうか。ある法律や条文に関係のある、すべての法律や条文をWEBのようにリンクさせれば分かりやすいしムダも無いかと思われます。


日本人は従来から仲間外れをつま弾きにする民族性があるとよく言われますが、容疑者を犯罪者扱いする事がその民族性を如実に表している気がします。自分の意見と相手の意見が食い違ったとき、相手の意見を取り入れることもあまりしません。そのせいで裁判も長引いているのではないでしょうか。

2006年01月07日

精神障害者の施設コンフリクト

ちょっとまえのことですが、
精神障害者の保護施設を建てるのを反対しているニュースがありました。
地元の人がストライキして建設するのをやめさせようとしていたのです。
おっちゃんが工事現場の人に突っかかって行って
柵を無理やり取り払ったりしてました。
なにやら、精神障害者が犯罪を犯すので危ないからだとか。
おっちゃんの方がよっぽど怖かったのですが。

私はこんな偏見はとっくのまに無くなってると
思っていたので心底おどろきました。
ニュースによると、このようなストライキが全国で行われているそうです。
こういう問題を施設コンフリクトというらしいです。

なぜ、地元の人は精神障害者を怖がるのでしょう。
私が思うにマスコミのせいです。
テレビなどでよく精神障害者が
犯罪を犯すというようなニュースを目にしている気がします。
しかし実際のところ、正常な凶悪犯罪者の逃げ口上が精神障害を装うことなので
本当の精神障害者の犯罪者が何人いたのか見当も付きません。

私としては精神障害者より普通の人間の方がよっぽど犯罪を犯しそうだと思うのです。
精神障害者は、正常に物事を考えられないので犯罪を計画できません。
しかし、正常な人間は綿密に、それこそ完全犯罪を計画することだってできるのです。

そして何より、精神障害者だからといって
全員をひっくるめて犯罪者予備軍のように考えるのは恥ずべきことです。
もしあなたの職種は知能指数が低いという統計が出たときに、
あなた自身も知能指数が低いと言われれば怒るでしょう。
それを保護施設に反対している人はもっと酷く行っているのです。

誤解や決め付けによる争いは一番嫌いなので早く解決できるといいですね。
もう少し頭をやわらかくして考えればすぐに気づくことだとは思うのですが・・・。

2005年12月28日

命の大切さは平等じゃない

よく、どんな生物でも命の大切さは同じだという
偽善的なフレーズを聞きます。

でも、そんなわけがない。
あなたはパックに敷き詰められた ちりめんじゃこを見て、
人間とじゃこの命の大切さは同じだって言えますか?
数千の命を1人の人間が1食でバクバク食べちゃうのに
言えるわけがない。
(ところで ちりめんじゃこって
 カタクチイワシの雑魚だったんですね)

では命の大切さはどう決まるのだろう?
人間を除外した場合、他の生物を捕食した数に比例していると言えそうだ。
イワシ1匹と、じゃこ1匹の命の大切さは同じではないだろう。
イワシ1匹は生きている内に何千匹の小魚を捕食しているはずだ。
そのイワシが死亡したとき、
今まで食べた小魚1匹と同等の価値なわけがない。
何千匹の小魚を犠牲にして成り立っている命だからだ。
逆に、じゃこはまだ生まれたばかりで、捕食した生物の数が少ない。
その分だけ価値が少ないと言えるだろう。
クジラ1匹とイワシ1匹でも同様だし、
じゃこ1匹とプランクトン1匹との関係でも同様だ。

ここに、除外した人間をぶち込んでみよう。
すると、人間の命が一番大切になり、
人間にとって役立つ生物や、可愛がられる生物の命が大切になる。
人間と犬・猫が災害で取り残されたとき、優先して救出されるのは人間だ。
人間と犬・猫が殺されたとき、優先してニュースにされるのは人間だ。
そして犬・猫と野生の鹿が飢えているときは、犬・猫が優先される。

このように、人間が出てくると人間本位の価値観が出来上がる。
この人間本位を改めないかぎり、どんな生物でも命の大切さは同じだなんて
口が裂けても言えないはずだ。

2005年12月24日

人間と猿

だいぶ前に動物奇想天外で、
猿の目を見つめるとケンカの合図になっちゃうから
絶対に見ちゃダメっていうのをちょろっと言ってました。

これって人間にも当てはまるよなあ。
不良の顔飛ばしなんてまさにそれだ。
不良じゃなくても他人の目を凝視するのは何か気まずい。
普通の人は理性でケンカを抑えるから、
気まずくなっちゃうんだろうね。

面接のときも、面接官の目を見るのではなく
首から鼻ぐらいのところを見るのが
良いって言われてたっけか。
これも、こっから来てるんだろうなあ。

追記:
と思ったら、カナダに留学してた弟が
外人は目を見ないと逆に怒るらしい。
ということは、日本人だけ猿と同じだったらしい。
ちょっとイエローモンキーって言われてるの理解できました。
もしくはどっちも弱気で
ケンカする自信がないから気まずいのかも。

2005年12月17日

左肩に鞄を持つ

自分って右利きなんだけど、なぜか鞄は左肩に掛けます。
今では右肩に鞄を掛けること自体が気持ち悪くてできません。

なんでだろう?と考えたところ、
「左肩に掛けた方が、右手を使いやすいから」という結論に達しました。
思い返してみると、小便するときにわざわざ鞄を
置くということが少なかった気がします。
サイフから定期類を出すのも簡単。
意識して左肩を使ってたわけではないので
人間の体って合理的にできてるんだなあと感心しました。

とか思うけど、駅のホームで見る人はほとんど右肩に掛けてたりして。
自分の体だけ合理的なの?って感じです。

2005年12月14日

ライブドアって会社

あの有名なやつですね。
社長がテレビに色々出てて、うぜえとかそういうのは無しにして、
企業としての問題点をいくつか挙げたいと存じます。

まず、社長がテレビに出だした頃からライブドアのblogがめちゃめちゃ重くなったこと。重いこと自体は仕方ないにしても、そのあと数ヶ月間も何の対策も成されてこなかった。だいたい、テレビに社長が出たら利用者も跳ね上がることぐらい予測できそうなもんですが。客をなめてるのがちらほら見えますね。ずっと改善されないものだから、友達もブログを変えることを余儀なくされたぐらいです。

その次、シミュレーションゲームのシヴィライゼーション3の拡張パッケージがどうしても欲しくてネットで探し回ってることがありました。Googleでひっかかる全ての店を見ても無かったのですが、なんとライブドアの通販にあるではないですか!私は鼻息荒く意気揚揚と注文しました。
で、数日後届いたメールには在庫はありませんとのこと。落胆するにも程がありました。ぬか喜びほどヘコむことはなかなか無いです。
 他の店はしっかり在庫の管理を行っているのにライブドアだけ在庫の管理が杜撰だったのです。しかも登録して注文するときに、メールマガジンが来ないようにチェックを外したはずなのですが、今ではほぼ3日1回メールが来ます。配信解除したのですがなぜかまだ来ます。配信解除が適用されるのは1週間後と書かれていたのに、1ヶ月経ってもまだ来ます。もう完全にスパムメール扱いですよ。それに、配信解除の適用に1週間かかるメールマガジンなんて初めて聞いたのですが。昔にいかがわしいメールマガジンを取っていたときもすぐに解除できたのに、ライブドアのメールはそれ以下のシステムだということです。(いかがわしいメールを追求しないように。

というように、ライブドアは客をナメています。企業のサービスに触れれば簡単に経営者が客をナメてるかどうかが1発で分かります。あの豊満な肉体の持ち主の方は見た目どおりの金好きです。技術屋出身の経営者ということで一目置いていたのですが何のことはない、ただの守銭奴です。

2005年12月11日

愛知万博を振り返る

もうとっくのまに旬すぎてますけど、
思ったことを書きます。

まず今回のテーマ「自然の叡智」でしたかね。
でも行った感想としては「人間の叡智」しか感じられませんでした。
企業の最新技術やらを盛り込んだ建物ばっかりでどこにも「自然」はなかったです。

だけど木材で建てられた大きな建造物や通路なんかはありましたね。
会場をほぼ一周できる空中回廊なんかは木材でできてました。
これが「自然」なのでしょうか?
これらの建造物のために一体どれだけの木を切り倒したのか想像もつきません。
廃材利用を謳っていますが、実際どれだけの廃材を利用して
どれだけの伐採を行ったのか知りたいです。

あとは有名パビリオンに並ぶ人が多すぎる。
待ち時間が4時間とかどうなってるんですか。
もう少し分散するようにはできなかったのかな。
有名パビリオンは1箇所に固まりすぎてるのも原因な気がします。
あとは1回の公演に消化できる人の数が少ないってのもありますね。

一番泣きそうになったのが
帰るときですら順番待ちだったことでしょうか。
帰るために1時間も待つなんて、
さすがにディズニーランドでも経験したことないです。
移動や待ち時間で時間を取られるので
いつのまにか閉園時間になっていることがありました。
たぶん皆も同じように、いつのまにか閉園時間になっていたので
集中したのではないかなあと思います。
帰る方法がリニアモーターカーかバスぐらいしかないのが問題です。
閉園時間だけ回転数をもっと増やすか、歩いて最寄の町まですぐに帰れればいいのですが。

本会場から離れた場所にもパビリオンがあるのですが、
ここにはゴンドラで入ります。
で、私はゴンドラで楽々と入場しました。
が、帰るころになると大雨になり、なんとゴンドラは運転中止に。
陸の孤島という言葉を思い出した瞬間でした。
あーやべーと思ってたら、どうやらバスも通ってるらしく事なきを得ましたが。
でもバスに乗るのにまた30分待ちですよ。
こんなのばっかりだ。

パビリオンの内容の質はどうかというと、基本的には面白くなかったです。
その中でたまにめっちゃ面白いのがちょろちょろあるのが救いでしたが。
もう終わってしまったので一つ一つをここで言及するのはやめておきます。


とまあ、こんな感じです。
私が一つ肝に銘じたことは、有名すぎるテーマパークには人がいないときに行くもんだ、です。大阪万博みたいに残ってればいつでも行けるのですが、愛知万博は全部取り壊すみたいですからちょっと無理そうですけど。

クソゲーを買わないタメに

・有名ゲームに似ている
この手のゲームの大体は商売目的のみで作られる。

最も売れ筋のゲームを研究して、似たようなゲームをつくるのである。

ほとんどがそのオリジナルより粗悪な出来であるため、オリジナルのゲームを買う方が得策だろう。

しかし、オリジナルのゲームを超えるゲームも少なからず存在している。

ゲーム画面を見て、オリジナル以上に面白そうなら、賭けてみるのもいいかもしれない。


・発売(プレイ)直後の評価は当てにならない
人間、誰しもイイコトがあると舞い上がってしまう。

それが楽しみに発売を待っていたゲームの発売日なら、なおさらである。

気持ちはイタイ程よく分かるが、そのときは酔っ払っているとしか言いようがない。

ほんとうは面白くないゲームを面白いと錯覚してしまうのもムリはない。

酔っ払っているのだから。

死ぬほど長いロード時間も気にならないかもしれない。

酔っ払っているのだから。

正確な評価を知りたければ、時間を置いて評価を聞くべきである。

私も有頂天になって過大評価することがあるので注意!


・キャラゲーにゲームを求めるのはやめとこう
ゲームの存在自体がアニメなどの副産物のもの、いわゆるキャラゲーである。

だいたいのキャラゲーは、まずゲーム以外のアニメやマンガなどがあって、その次にゲームがある。

だから、ゲームのクオリティは高くなくとも何の支障もないのだ。

メインのアニメやマンガなどの人気が高ければ、それで売れるのである。

そのことを知りつつお金と労力をかけて面白いゲームを作る会社は少ない。

この手の種類はグッズとみればそれはそれで良いが、ゲームとしてはタダの粗悪品であることが多い。


・ダメなゲームレビューサイトの見分け方
ここではある一つのゲームを判断の材料とさせてもらう。

それは「ヴァルキリー・プロファイル」。

このゲームはなんともクセの多いゲームである。

面白いと言えば面白いし、クソゲーといえばクソゲーである。

戦闘のコンボシステムは確かに賞賛に値すると思う。

人間の魂を神界に送り、兵士とする目新しいシステムも面白いと思う。

しかし、これらの面白さも、バグでゲームが止まる回数の多さや、グラフィックを使い回されるザコキャラ、
ゼーブデータが消える、というマイナス面の前には消え去ってしまう。

セーブ中に何事もなくデータが壊れるゲームを私はこのヴァルキリー・プロファイルしか知らない。

それに、プレイした人の数も多いのでかなり適任だと思われる。

このゲームをベタ褒めしているレビューサイトはちょっと問題がある。

ゲームのイイところだけでなくダメなところもしっかり書けてないとね。


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